■2009年04月13日(Mon) デパートの消滅
 久留米市街の真ん中に存在した百貨店「久留米井筒屋」が平成21年2月で閉店しました。
昭和12(1937)年に開業した「デパート旭屋」以来72年の歴史に幕を閉じたのです。その
歴史を簡単に振り返ってみることにしましょう。(なお、以下の写真は主に久留米井筒屋様の
ご厚意により提供いただいたものです・記して感謝申し上げます。)
(2017年7月「軍都久留米の風景とくらし」展より写真の追加をさせていただきました。撮影を許諾いただいた久留米市文化財保護課の御厚意に感謝します。)

 昭和11(1936)年5月19日、久留米商工会議所で議員協議会が開催されました。議題は「市民の手による百貨店作り」。この議題は満場一致で可決承認されました。5月26日の久留米市勧業会総会において市長石野斐夫・助役村上殿三郎・議長吉田清・商工会議所会頭石橋徳次郎(日本足袋株式会社社長)・副会頭篠原倍蔵・同伊藤貞蔵の6名により百貨店建設促進委員会が構成されました。時の市役所・商工会議所・日本足袋という地元の総力を結集して久留米の百貨店は誕生したのです(2017年3月8日「アサヒコーポレーション」参照)。かような時期に設立となったのは、昭和10年に小倉で井筒屋が、昭和11年には天神で岩田屋が設立の運びとなり、これに対抗する機運が久留米で盛りあがったからです。
 昭和12(1937)年9月30日、デパート旭屋が営業を開始しました。開設にあたっては三越百貨店から幹部6名(藪崎篤志郎他5名)の派遣を請い、高松支店長三浦勉二を常務取締役に迎えて経営の指導を受けたそうです。久留米が生んだ三越百貨店の創始者・日比翁助の縁を感じます(07年1月17日「デパートの誕生」参照)。
 

 建物は地下1階地上6階建て(店舗面積9600平方メートル)。設計したのは石橋徳次郎邸(現・石橋迎賓館)を任されていた松田昌平です(09年6月15日「石橋迎賓館」参照)。九州最初の冷房装置を備え、防空防火施設にも優れた性能を誇っていました。屋上には遊び場が設けられ、特に線路を引いたミニ列車が人気の的でした。
  

  

 しかし戦争の泥沼化に従い旭屋も戦時色が強くなりました。昭和12年の写真には「祝南京陥落」の文字が見られ、昭和13年の写真では「支邦事変戦利品展」が行われています。
  

 昭和20年8月11日久留米空襲により街は焼け野原になりました。
 
         (米軍撮影・小頭町付近を中心として焼夷弾が投下されている)

 旭屋は防空防火施設により消失を免れました。焦土の中に毅然とそびえ立つ旭屋の姿は敗戦後の市民に復興の象徴的意味を有していたに違いありません。
 

 昭和28年、久留米市は大水害に見舞われ旭屋も大変な被害に遭いました。が、間もなく立ち直り、昭和29年1月には県内2番目の民放としてKBCラジオが旭屋デパート内に開局されています。6階には映画館も開設され、市民の憩いの場ともなりました。
 

 以下の写真は昭和30年頃に売り出しを行った際に出来た行列の様子です。
  

 前を通っている車が時代を感じさせます。
 

 屋上の遊園地は子供たちに人気がありました。
 

 

 

 昭和35年8月、旭屋の中園社長は小倉の井筒屋を訪問し業務提携を申し入れました。交渉の結果、昭和37年3月1日久留米井筒屋が誕生しました。昭和38年にエスカレーターが設置され、久留米井筒屋は商都久留米の顔として親しまれてきました。
 久留米の百貨店は長い間久留米井筒屋の1店舗のみでしたが、昭和44年6月に西鉄久留米駅横の大規模商業ビル「米城ビル」建築の構想が発表されると、にわかに久留米の商圏を巡る争いが生じました。これは裁判上の争いに発展し福岡地裁久留米支部の和解により解決したと「久留米市史」は記しています(第4巻567頁)。

 米城ビルのキーテナントは岩田屋に決定します。これに対抗して久留米井筒屋は6階建てを7階建てに増築します。さらに昭和54年に建物が増築され現在の久留米井筒屋の姿が現れて今日(注・09年4月)に至っています。
  
 2大百貨店がライバルとして競合しながら久留米の中心市街地は発展しました。両者を繋ぐ中心商店街として1番街・2番街・六ツ門と続くアーケードが整備されます。ユニード・ダイエータイホーといったスーパーマーケットも中心市街に進出し、商都久留米は筑後広域圏のみならず佐賀東部からも多くの買い物客を集めるようになりました。
  しかし、規制緩和による大店法改正を直接的契機として、広い駐車場を備えた郊外型店舗が現れるようになりました。上記店舗群は私が弁護士になった平成6年頃から消滅を始め、平成15年の「ゆめタウン久留米」(株式会社イズミ・広島市)の開業が駄目押しとなりました。両百貨店の売り上げは激減しアーケード街も閑古鳥が鳴くようになりました。華やかだった1番街もシャッター通りの傾向を見せ始めるようになり、この流れの中で久留米井筒屋も消滅の時を迎えたのです。
 
 毎日新聞(平成21年4月5日付)は「経済最前線」の欄で「地方都市から消える百貨店」と題する記事を載せています。記事によれば札幌(丸井、西武)・秋田(中三)・名取(三越)・今治(大丸)・鹿児島(三越)など多くの地方都市から百貨店が撤退しています。自動車社会の進展に伴い、郊外に展開する大型ショッピングセンターに客が流れていると指摘されています。全国の地方都市で「ファスト風土化」(@三浦展)が進行しているのです。

(後記)平成28年4月27日、跡地に「久留米シティプラザ」が開業しました。
外部リンク(久留米シティプラザ